田辺城跡の川向、熊野街道沿いにある当山は、
三軒のお寺が軒を並べており、
昔から「江川三ヶ寺」と呼ばれております。

開山は天正九年に光誉岌山上人により
御所谷(現在地より西に500m)に創建され、
後に慶長13年、秀誉良山上人により現在地に移転されます。

おそらく田辺城を守るため、城へ向かう橋のふもとに三ヶ寺を移転し、
もしもの時の防御施設として、
この地にお寺を集めたのではなかろうかとされております。

時の鐘は正徳4年から、常念仏は正徳5年から、
いずれも明治4年まで150年以上にわたって続き、
現在も入相の鐘(日暮れ時につく鐘)をついております。

また総本山知恩院第83世門跡であった量誉信宏上人は、
当山の第20世住職であり、
三十三間堂通し矢天下総一の弓士、和佐大八郎の墓碑と剛弓が、
また紀州備長炭の創始者
備中屋長左衛門の墓碑と寄進された大仏もお祀りしております。

詳しくは浄恩寺の史跡境内のご案内をご覧下さい。